2018年03月27日

理不尽さ、について


生きていると、まっこと理不尽な目に遭うことがあり
ワタクシが一体何をしたというのだっ!!!と
嘆けども、怒れども、叫べども、どうにもならない事態に
身もだえしつつ、耐え難きを耐える、時があります。

若い頃は、それで体調を崩したり、精神的にやられてしまう事が
ありましたが、それなりに経験を積むと、理不尽なことにも
意味はあるのかもしれない、と考える様になりました。

天災や病気なら、それがどんなに理不尽な事態でも
生き残るべく全力で戦おうとするのでしょうが、裏切りやとばっちり
関係のない場所から火の粉が降りかかって大火事、なんて時は
戦う術も為す術もなく、痛みが癒えていくまで耐えることしかできません。

それでも、その理不尽な事態から逃れることができないのが人生なら
生きるうえで、常になんらかの理不尽さと隣りあわせなのなら
そこから何かを理解し、起きたことへの意味を見出したいと
そんな風に思います。

多くの生徒や人たちと深い関わりを持ち、そしてその人達を愛せば、
裏切りは付きもの、信頼と裏切りは、実は表裏一体のものなのかもしれない
と気付きます。
愛とか長年の信頼関係は、とても重く、時に心を拘束されると感じる事も
心を拘束されると共に行動も縛られると思う事もあるのかもしれません。

愛されるがゆえ、長年の信頼関係であるがゆえ、心の隙間に甘え、おごり、
そして何かしらの誘惑が入り込むのは、それが長年になればなるほど
仕方のないことかもしれません。

愛が反転して憎しみに変わることがある様に、信頼と裏切りとも
鏡の表と裏のようなものかもしれない、とそんな風に今は捉えています。

そう理解したところで、傷つくことは同じなのですが
それでも、そうやって人の弱さ、脆さ、に気づいた時、
何かが少し癒える気がします。

桜が、もう散り始めました。

そんな風に、潔く、見事に、痛みを受け入れられる強さを持ちたい。


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2018年03月26日

REBORN

皆様、ご無沙汰でした!

沢山の季節が過ぎて・・・4年余り・・・

このブログに悪意のあるコメントが頻繁に書き込まれる様になり
HPから同じようなメールも届くようになって
かなり怖くなって書くのをお休みしていましたら
あっという間に4年余りの月日が経ってしまいました。

そういうSNSでの攻撃に加え、手の故障が完治したと思っていた頃ぶり返し、
追加して更年期も重なって軽い欝になり、小さなコンサートをこなしながら
一生懸命にレッスンしたり、山を歩いたり、読書したり。
沢山のことを感じ、考え、沢山の試練を乗り越えてきた様な気がします。

去年、やっと精神的にも完全に復活して演奏活動を本格的に再開しました。

でもブログの方は、これだけ経っても時々怖いメールが来て中々再開できず・・・
けれどもこんなにお休みしているのに、毎日毎日多いときは100名を越す
訪問数があり、本当にそれは感謝の気持ちでいっぱいで・・・
このままではいけないし、負けないぞ!と勇気を持って再開することにしました。

桜が満開です。
咲けば散るのが定めの儚さが、桜の最大の魅力でしょう。
満開の華やかさの中に、一瞬の夢を見させてくれる・・・幻の様な美しさ。
命、や、運命、や、理(ことわり)、や。

卒業、就職、引越し、そして再スタート。

REBORN,,リボーン、に思いをこめました。

ここから、ブログ復活!です!!!

2013 sakura yono.JPG
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2013年12月02日

紅葉

全治1カ月と言われた手の靭帯の損傷が、1か月経っても2カ月経っても治らず
結局、靭帯が伸びたのではなく、切れた、ということで、
完治まで半年間、かかりました。

もう、本当に弾いていけないのではないか、と、何度も何度も不安になり
やっと弾けるようになってからも、焦ってはいけない、と思いつつ、練習しすぎて
肩甲骨の周りの筋肉を痛めてしまったり、とほほなこの秋。

とにかく、ピアノの前ではなく、部屋の中ではなく、外へ、外へ、と
この秋は紅葉を見て回っています。

赤城、軽井沢、筑波山、箱根…毎週水曜日がお休みなので、日帰りで紅葉狩り。
今週は、いよいよ埼玉県内、森林公園が見ごろでしょうか。

どこの紅葉も綺麗です。どこの空気もすがすがしく、どこの青空も高く澄んでいます。
日本は、本当に美しい国だと、改めて思います。

黄金色に輝く銀杏並木、赤、オレンジ、黄色の繊細なレースの様ないろは紅葉、
それらの木々は、一瞬の輝きの後に、全ての葉を落として、寒々とした
枝を広げ、まるで枯れてしまったかのように息をひそめて、冬を乗り越えます。

北風にさらされ、雪を抱き、幾多の凍える夜を経て、芽をはぐくみ、伊吹く日まで
春を待って、その場に立ち続ける。

多分、今の私はそんな時なのかもしれない、と、ふと考えます。

春夏と、全力で走り続けて、秋を迎えて全ての葉を落として、春を待つ。
人生の最終コーナーを回るのはまだ先かもしれないけれど、少なくとも
今は、少し羽を休めて、自然に身を任せて、来る時に備えて焦らず時を
重ねる。必ず芽吹き、また花をつける日も来ると信じて。

きらきらと、まるでレースごしに陽の光を通すように、紅葉の木々から
光が輝いて見えます。
そして一陣の風が吹いて、木々が丸裸になる。
その刹那、樹は、一本のただの木になって孤独に、潔くすくっと佇むかのようです。


自身と向き合う時。

内省と沈黙の時。

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2013年09月09日

オリンピック開催決定に思う事

2020年に、東京でオリンピックが開催されることになりました。

私も朝5時15分に起きて、ニュースを見ていました。
決まった時には、良かったと素直に感激しました。

でもどこかで、本当に良かったのだろうかと問いかけている自分がいます。

五輪開催そのものは、良いことの方が多いと思います。
ごく短期的にではあるけれど、経済は上向きになるでしょうし
(実際に今日の東京株式市場はゼネコンや土地取引、建設関係を中心に大幅に値上がり!)
五輪に向けて、何か希望のようなもの、夢のようなものを持つことができるのではないか
という期待があります。

良い面があれば、必ず同じだけのマイナス面もあるはずです。

五輪関連の企業や分野には、国のお金も回るでしょうし株価も上がり、実際に仕事も
増えて喜ばしい半面、そこに使われるお金が、本来、本当に必要な人達や企業に
回らない可能性があります。
具体的には、震災の復興と原発の問題解決のためのお金です。

福島の原発問題を抱えた街では、がれきも何もかもがあの時のままです。
放射線量が高くて、手が出せない、という現実の前に、流された家も家財も、車も船も
何もかもがあの日のままに放置されています。
そしてその無残ながれきの中にはまだ、100人を超える死体が埋まっていると言います。

残された人々の暮らしも、実はそのままなのです。
引っ越すこともできず、がれきや死体の埋まる海がわずかに見える借りの住まいに
将来への不安、健康への不安を抱えて、なすすべもなく
日々をやり過ごす人達。
「津波も地震も何とか受け入れられる。どんなにそれが悲惨なものであっても
そこから前を向くこともできると思う。でもこの原発の問題だけは、どう向き合ったらよいのか
どうしたらよいのか、何をすべきなのか、皆目わからない。
明日が見えない。心の整理もつくはずがない。まだそこに見えない放射能があって
そこから何を始められるのか、何も解決できていない。」

福島の子供たちから「絶対にオリンピック開催を勝ち取ってきてね」と頼まれたんだと
吉田選手が言っていました。だから開催が決まって嬉しい、あの子たちに夢をプレゼント
できると。

確かに、それは一つの夢になるかもしれない。
けれども、その前に今の暮らし、明日の健康、それが見えてこなければ
どうやって明日を信じて、夢見ることが許されるのでしょうか。

安倍総理は汚染水の問題について、完全に把握しており万全の対策を取ると、プレゼンしました。
今、この時も、どれほどの放射線量の汚染水が正確にどのくらい流出しているのか
完全に把握はできていないというのに、問題を完全に把握できるわけがない。
福島の人たちの明日が何も見えていないのに、万全の対策がとれるわけがない。

夢をみることと、夢物語を語ることは違います。
その夢を、実現することが、夢を見させる側の責任なのですから。

オリンピックに夢を託す人達のためにも、福島の問題を、原発の是非を
その責任の所在を、恐れず国民に差し出して、一つずつ、着実に
皆の力で解決していこうとすること。その必死の努力が本当の夢を生むのだと
夢を実現していく基礎となるのだと、私は思います。


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2013年08月06日

風立ちぬ、いざ生きめやも

4か月ぶりのブログです。

宮崎駿監督ジブリ作品の「風立ちぬ」を観てきました。
ジブリ作品らしからぬ、見事で潔い日本人を描ききった、素晴らしい映画です。

堀辰夫の小説「風立ちぬ」をベースに、ゼロ戦を設計した堀越次郎の人生を投影させた
ストーリー。
大正末期の関東大震災から世界大恐慌による不景気、そして第二次世界大戦へと
突入して敗戦を迎えるまでの日本が舞台です。

アニメとしてのレヴェル、世界観を投影させる技術力は、やはりジブリ!
軽井沢の…それも一昔前の…の空気感、風が立つ、その瞬間の高揚感
堀辰夫の描く、当時の日本の持つ抒情性、そして次郎の夢、菜穂子との間に
流れる、いとおしく切ない愛の時間。
アニメだから出来る、と思わせる実写を超えるリアリティがそこにあります。

お子様や学生さんには、チトつらい長尺な作品でしょう。
静かな高揚感、内に秘めた温かな愛情、語られぬ無残、無念さそして、切なさ。
行間を読んでいくような、お能にも似たテンポ感。

堀辰夫の美しい村、風立ちぬ、菜穂子の3作品に流れる静謐な抒情性と
結核という病に象徴される、儚さ、恐れ、飛行機に賭ける人生という名の夢。
そして何より、私たち日本人が持っていた潔さ、品格、美しさと強さが描かれていて
観ているうちに、じんわりじんわりと胸が熱くなり、いつの間にか涙があふれます。

堀辰夫は中学生から高校生にかけて愛読した作家です。
センシティブ、という言葉の意味を辞書で引いて、以来、私の会話にしばしば使って
いました。お気に入りの表現。パセテイック、もありましたね。
まぁ青春期のナントカかぶれの様なものだったのかもしれませんが。

センシティブ、は直訳すると官能的となりますが、今風のエロいという表現の持つ
一種の下品さはなくて、そこに潜む繊細で神秘的な感覚が好きでした。
パセティックは悲劇的なという意味ですが、それも露わでなく直接的でなく
それでいて、嘆きが深く潜んでいる感じがしたものです。

そう、この映画はセンシティブで、パセティックで、そして儚さと勇気に溢れています。

矜持を正す、という言葉があります。
もはや死語のようになっていますが。

描かれている日本人の姿勢の美しいこと!
歩く姿、立ちいふるまいの美しさは、本当に世界一だと思います。
戦争の悲惨さ、ゼロ戦の顛末、菜穂子の死。
それらが声高に描かれることはありませんが、それらの悲劇をパセティックに
そして菜穂子との愛をセンシティブに、次郎の夢と挫折を潔く描いたこの作品は
日本人の持つ美しさと品格を、あらためて誇りに思えるような世界でした。

4月に負傷した右手の回復が思わしくなく、毎日ピアノに向かっても
左手だけ、とか、簡単な右手の曲しかあだ弾けません。
1か月もすると精神的にすっかり参ってしまい、軽〜い鬱状態。
そこに子供たちのトラブルが重なり、いやはや、生きるのはホントに大変。
このブログも含め、SNSに向かいあうのが怖くて、あまりネットも見ない。
ただ、小さな旅、大きな旅、や、弾けない今だから出来る山歩きなどをして
生徒たちにレッスンをしながら、ひたすら本を読んでいました。

映画も、久しぶりに観ました。
そして、堀辰夫の小説も久しぶりに読み返しました。

風立ちぬ、いざ生きめやも。

主人公の次郎の夢は戦争という現実に無残に挫折し、菜穂子との愛も
結核という病の前に打ち砕かれます。

それでも、矜持を正して、前を向いて生きる。

運命を受け入れて、懸命に生きる。

まだ、右手は不自由なままですが、それでも明日はやってくるし
生きなければならないのなら、前を向いて矜持を持って
歩いていこうと、深く自分に頷ける気持ちにしてくれたこの作品に感謝しています。

そしてこのブログを読んでくださっている皆様。
ご心配をおかけしました。
何度か書こうとトライしたときに、このホームページの訪問者が
私がブログを更新していないにも関わらず、いつも50を超えていました。
心から、御礼申し上げます。
支えられているんだ、という気持ちになりました。

ありがとうございます♡

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2013年04月23日

左利き

合宿から帰ったら、すぐに書こうと思っていたブログですが
合宿の最終日に思わぬアクシデントに見舞われて、右手が使えなくなりました・・・

ハイキングの途中で転びそうになった生徒をとっさに支えようとして
右手の人差し指と中指を、かなり強く突き指。
ただの突き指なら2週間もすれば良くなるはずなのですが
2日後に手の甲がぶわっと腫れて
慌ててお医者さんに行ったら、靭帯損傷で、全治3週間〜1カ月だと。。。
とほほ、であります。

しばらく手を使っても動かしても、だめ、ということで
このブログも書くことができませんでした。

まぁ、焦っても仕方ないし、無理して本当に弾けなくなっても困るし、で、
人生で初めて舞台をキャンセル!することにもなりました。

右手を使えない、すなわち左手で何とかするしかない、という3週間でした。
私は基本的に多分両手とも、利き手、というのか
左手もかなり器用に使うことができます。
お箸も持てるし、字も書けるし、毎日左手で歯磨きもしているので
決定的に不自由なわけではありません。

ただ左手で生活してみると、本当にこの世の中は右利きのために
作られているのだなぁ、ということがわかります。

鋏などは左利き用のものが出ているようですが、99%の生活用品は
右利きを前提として作られていることに気づきます。
左利きの生徒と話していて、トランプのカードを左に開くと、
何も見えない、という話になりました。
トランプは右上と左下に数字やマークが書かれているので
右に開けば、幾つで、何のマークかわかりますが、
左に開くと、真っ白。何も見えない、と、言われてみると
本当だ、ありゃりゃって感じです。

文字だって数字だって、右利きの人たちが考えたに違いないです。
左で書くとバランスは取れないし、形にしにくいし、
美しくは書けないですよね。

左利きの人は、そういう日常の全ての面でストレスがかかるので
右利きの人より、寿命が短いのだそうです。
ストレスは、人を殺すんだな・・・

でも、左利きの人って、結構います。
感じとしては、10人に1人くらいの割り合い?
20人に1人としたって、2500万人は日本に左利き人口がいるって
いうことになるんだから、もう少し左利き用の色々が増えたっていいのに。

経験しないと、実感としてはわからないこと。
左利きさんの大変さを、身にしみて体験しています。

どげんかせんと、いかんぜよ!












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2013年03月26日

近所にお花見

2013 sakura yono.JPG歩いて20分、車で5分の処に、この辺りでは桜の名所とされる
与野公園があります。

明日から、赤城に合宿に1週間行くので、お花見は今年は無理か?
と、あきらめていたのですが、特別にどこかに出かけなくても
桜を愛でる気もちがあれば、どこでだってお花見は出来るもの!と
思い立って朝8時に、与野公園まで歩いてみました。

昨夜の雨が空気を清浄なものにして、青い空が広がります。
朝のきりりと冷たい風に、広がる桜並木は、いつも見る花見の桜より
清々しさのある華やぎ。

ゆっくり歩いて、立ち止まって写真を撮ったりしながら30分ほど。
朱色の太鼓橋、噴水、桜並木の間には ばら苑。
少し人工的なしつらえの公園ではありますが、そこに咲く桜や花桃
けやきの若芽には、生命の輝きと美しさが湛えられています。

明日から、赤城。
赤城は早春が一番美しいと感じます。
雪解けのせせらぎ、羊雲、青い青い空。

子供たちと過ごす一週間。音楽と早春を満喫してきます!

PS、ブログ、しばしお休みです<(_ _)>
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2013年03月24日

さくら

桜が満開。
思っていた以上に早い満開で、お花見は今年は見送りかな。

今日は花曇り。
三鷹の実家に教えに都内を車で走りました。
沿道に、桜並木。

思わず、ため息が漏れます。

なぜ、桜の花を見ると、切なくなるのか。
なぜ、満開の桜に、季節や人生の移ろいを見るのか。

様々な本、諸説芬芬ではあるけれど
この胸のキュンキュンする感じは、日本人のDNAみたいですね。

満開の桜に、何より季節の節目、人生の節目を見てきた私たち。
いつもより早い今年の満開は、何に別れを告げ、どんな旅立ちと出会いを
連れてくるのでしょうか。


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2013年03月23日

ママ友

長女が幼稚園に入園したのが、もう18年前になるので
いわゆる、ママ友という関係やつながりは、同じだけ長いはず。

はず、というのがミソで、ママ友は1年とかせいぜい3年間の限定的なおつきあい。
例えば同じクラスで家や環境が近かった、とか、同じ役員をやった、とか、
子供同士が仲良しで、クラスも同じ時が多かった、とか。
役員の間だけ、同じクラスの間だけ。それが過ぎれば、ただの顔見知り。

敬遠している、のではないし、そういう付き合いが嫌なわけでもないけれど
なんか、合わない、なじめない、打ち解けられない、みたいな。
普通に暮らしているお母様方との違和感が、昔はとても強かったのだと思います。

3人の子育て、40人のピアノの生徒たちへのレッスンと、CDの録音や雪崩のようなコンサート。
練習はいつも深夜10時から1時半、2時。6時には起きてお弁当に朝食作り。
山の様な洗濯物、果てしのない家事雑事。
どうやって生き延びていたのか、どうやって日々をやり過ごしていたのか。

今でもそこに会社の経営が加わって、大変さはあまり変わりありません。
でも長女と次女が大学生になり成人して、やはり時間的にも精神的にも
子育てのピークは過ぎました。
3つ作っていたお弁当は1つになり、宿題や勉強を手伝ったり明日の持ち物の点検の時間や
気を配る神経も、それほど必要なくなっています。
まぁ、長男の受験という難題が迫ってはいますが・・・

どんなに仕事が大変でも、子育てに比べれば大したことはないのだと気付きます。
人一人、大人になるまで見守り助け、成長を促していくそのストレスと膨大な時間。
それが私を成長させてきたのではありますけれど。

さて、今晩は、息子の学校で多分最後のご奉公になる
新聞委員会の打ち上げのパーティーがありました。
私が幹事を引き受けて、会場を決め、最後はうちの教室で
コーヒーを飲みながら二次回をしました。

楽しかった!
心からこの1年の新聞委員会が楽しみで、ママ友とのおしゃべりが楽しみで
たまのママ友ランチも、本当に嬉しかったのです。
きっとこれからもこのママ友達とは、繋がっていかれると感じています。
こんなことは初めて!

一つは、驚くほど環境や感性が似ている人達が集まったたという奇跡。
それは、浦和ルーテル学院、という娘と息子が通う小中高一貫教育のキリスト教の学校に
通わせたいと思った親たちの集まり、という共通点もあるのでしょうけれど・・・
つまり価値観が似ている、という点で。
それから、その学校が育ててくれている子育てへの価値観や共通点もあるのだと
話していて思います。

もう一つは、私の心境や環境の変化、でしょうね。

少し、余裕が出来たのかな。

ママ友たちの悩みや立場を、そうだよねって心から共感したり一緒に考える余裕。
そうなんだって話を聴くことのできる余裕。
自分の大変さやギリギリな感じを、茶化したり笑ったりできる余裕。

心のキャパシティみたいなもの。
人を受け入れられるスキマ。

同じ学校に子供を通わせているからこそ、話せる悩みや希望や疑問。
母親同士、そして同じ年代の女性同士(あっ、私がきっと一番年上だけど!)
抱える様々なこと。違うことも同じ事も、バリエーションも、一つの土俵に
乗っている感じ。その共感。

ホント今まで、なかった経験です。
だから、とても嬉しい。

春は別れと出会いの季節。

幾つになっても、どんな立場になっても、心を開けば
そこに新しい、美しい、すばらしい出会いがあるものだと
そう思います。

感謝!新聞委員会の皆々様、ブラボー!


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2013年03月22日

カラオケ

ちょうど私が大学生になったころから、一般的な楽しみとして定着した
カラオケ。
昔はカラオケボックスなんてないから、飲み屋さんに行って
1曲100円とか払って、そこにいるお客さん全員の前で歌う、みたいな。
かなり恥ずかしいものでした。

ずっとクラッシックの声楽を習っていたせいた、いわゆるフツーの
洋楽やら歌謡曲が歌えない。
まさかベルカント唄法で、歌謡曲を歌うわけにはいかないし。
なので、いつも聞いているだけ派。
自分では決して歌わない。
自分からカラオケに行きたい、とは全然思わない。
誘われて、断ると失礼だとか、大人げない、という時だけ
小さくなって、隅の方に座って、なるべくこちらにマイクが来ない様に…
だから、全然面白くない!

でも、この何年かで子供たちや友人とカラオケに行くようになりました。
子供たちはお友達同士で学校帰りに行ったりすることがフツーな様で
私なんかより全然慣れ親しんでいます。
最初の頃は、行ってもほとんど聞いているだけで、自分で歌うのはまぁ2曲かな?
でも、この頃、段々に色々な曲に挑戦してみよう、と思える様になりました。

ピアノを弾くことで、自分の表現意欲は満たされているし、それ以上の何かは
自分には必要ない、と思っていました。
でも、本当に声を出して歌うのは、肉体的に精神的に解放感があって
楽しい!ことに気づいてしまったヤマガミ。

腹筋使って、思いっきり声を出すのって、とっても健全で楽しい娯楽なんだ
と思っています。

これからも、少しずつレパートリーを増やして、楽しむぞ。

歌なら、70歳、80歳になっても歌えるしね。

友人家族の皆々様。しばらくヤマガミの悪声にお付き合いください。
posted by yukiko at 11:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記