2012年07月14日

文章を書く、ということ

生徒のY君が、日本語検定1級に一発合格を果たしたと
とても嬉しそうに報告してくれました。

2級を受験した時に、問題集や試験問題を見せてもらったことがあるのですが
それはそれは、恐ろしく微細で多岐にわたり、それこそ
魑魅魍魎(ちみもうりょう=妖怪化けものが跋扈する=)な世界の様に感じまた。

よくもよくも、これだけ細かくわけのわからないことを並べるものだなぁという感想。

6つの分野に分かれていて、それぞれが60%以上取れていなければならず
全体で80%取れると、1級に合格、70%だと準1級だそうです。
彼は今21歳ですが、最年少の受験者だそうで、大体40,50代が受験の中心世代とのこと。
そりゃ、そうですね。読書量や経験値が高くないと、ただ勉強するにしても
それ相応の理解力や文章力が伴わなくて、無理なのではないかしら。

Y君はしかし、読書は得意ではなく人生経験も若いだけに豊富とは言い難いのです。
読む分野も「評論」にほとんど限られている、と言っています。
まして、文章を書くなどは、とんでもない!とも。
だから私は彼に「では、貴方は天才なんだよ。なぜそんな事が出来るのか理屈で説明できない
力を発揮する人のことを、天才、と言うのよ。貴方は国語の天才なんだね。」

彼は小さな障害を抱えています。生き方によっては大きな障害ともなるでしようが、
反対に、大きな個性や可能性につながる、秘めたる能力ともいえるかもしれません。
彼とのレッスンは、それまでのどの生徒とも異なる、私にとっても発見や発展のカギの
たくさんある、かなりユニークなものです。

とても鋭く、深い観察力分析力があり、例えば技術的な自分の問題点を、自分で見つけ出し
なぜなのか、どうすれば克服できるか、何がポイントなのか、ということを自分で考え
そのうえで私に疑問点をぶつけてきます。大変論理的で、緻密&精緻です。
それだけに応える側としては、相応の観察力や分析力と、それをきちんと言葉にして伝える力、
論理的かつ感性や創造性の豊かさ、を求められます。

私は彼に「貴方は文章の書ける人だと思うよ。」と言いました。
レッスンで彼の質問や会話は、口語と言うよりかなり文章体に近いきちんとしたものです。
分かりやすく、的確です。自分でもまだよくわからないことやとても感覚的なことになると、
急に口を閉ざします。論理的に伝える自信がないのかな、と思います。

でも口にする言葉は、どれもきちんとした文章につながるものですし、感性の分野のことでも
言葉を探して、的確に私に伝えてくれます。

「貴方が私に言ってくれること、思っていることを、ただ文章にするだけでいいんじゃない?
貴方は書けないのではなく、書かなかっただけだと思う。頭の中にはとても素敵な文章が沢山
あるけれど、それを文字を使って書く、ということをしてこなかっただけだと思う。
もし、貴方にそれほどの国語力がなければ、日本語検定で1級なんかとれるはずがないでしょう?」

文字が読めて書ける、ということは、人類が獲得した最大の喜びの一つだと私は思います。
文学と音楽は、いつの時代にも強く結びついてきました。
Y君が、ピアノを弾くことと共に、文章を書き始めてくれたら、何かが大きく前へ進むかもしれない
と感じています。文章にしてそれを読み返したり、反芻することでより客観的な考えかたや
論理性が鍛えられ、そして文章にしようとすることから生まれる感性も。

このごろは1週間に1度程度になってしまったブログですが、私もこうやって書くことで
現れてくる気持ちや、反芻する思いや、過去現在未来、がある、と思っています。

書くことは書くことだけに留まらない。
素敵な文章は、やはり素敵な人生から生まれる、と思っています。




posted by yukiko at 22:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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