2018年06月11日

日高六郎先生のこと

6月7日早朝、社会学者の日高六郎氏が101歳で
天寿を全うされた。穏やかな最期だったという。

六郎先生、そう呼ばせて頂いていた。出会いは30年前。
ドイツから帰国して、私は日本で本格的に音楽活動が
始まった頃だった。

六郎先生は東大教授職を、69年安保闘争で学生の立場に
立たれて苦悩の中で辞職."現代における人間の解放とは
何か"を学問・実践の場で考え続けておられた。
当時、国民文化会議を主宰され、ベトナム戦争や水俣病
など公害問題でも平和活動家の観点から実践的評論活動
を展開なさっていた六郎先生に私を是非紹介したい、と
言ってくれる方がいて、私の演奏会に六郎先生と夫人の
暢子さんがいらして下さったのが最初だった。

六郎先生ご夫妻は本当に私の演奏を気に入って下さって
それからとても「かわいがってもらった」という言葉が
一番当てはまるだろう。

私のコンサートにゲストで主演してトークをして下さったり
秋谷のお宅に「有紀子さん、京都から松茸届いたから食べに
いらっしゃい!」と招いて頂いたり。パリ郊外のご自宅にも
何度かお邪魔して音楽談義や政治談議に混ぜてもらった。

国民文化会議に誘って頂いて出席もした。ピアノも弾いた。
鶴見俊輔氏、小田実氏、土井たか子さん達と知り合えたのも
六郎先生のお陰だった。あの頃の様に今頃、あちらの世界で
あのメンツでまた会議をしているのかもしれない。

こうして今パリで演奏できるのも、六郎先生ご夫妻がパリに
住んでいらした頃に日仏交流演奏会を開催して、私を呼んで
下さったからでもある。原先生、エヴリン、あの演奏会には
もう亡くなられた沢山の恩人達がかかわった。

やさしく深く透徹したまなざしで観て考えて、そして平明に
語る方だった。起きたこと起きている事に様々な側面と光と
影を与え、真実がどこにあるのかを探す困難と必然を教えて
下さった。
音楽を愛し、私の音を愛してくれた六郎先生。

さぁ、弾いていかなければ。
そう、真実なる音を求めて奏でていかなければ。

沢山の宿題。
沢山のありがとう。

六郎先生、永遠の悠久の時のどこかで、
またお会いしましょう!


posted by yukiko at 22:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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