2012年06月18日

恩師

昨日は恩師の村上明美先生の喜寿とピアノ教育連盟会長就任の
お祝いのパーティーが、ありました。

村上先生との出会いは中学1年生。
それまでは桐朋学園の子供の為の音楽教室に通っていました。

ピアノを始めたのは4歳になる1か月前。
初めての先生は古川和子先生で徒歩5分の近所にいらした先生でしたけれど
本当に音楽の喜び、ピアノを弾く喜びを教えて頂きました。
私の才能をとても高く評価されて、もっとたくさんの事が学べる処に行きなさいと
桐朋学園の音楽教室受験を薦めて下さいました。

かなりの難関であったらしい4年生時の編入試験に合格して通い始めたのですが、
毎週土曜日にあるソルフェージュの時間は楽しかったものの
学園に漂う、当時の高度成長期を反映したような強烈な競争意識や
担当して頂いたピアノの先生の音楽に、どうしてもなじめず
ほとんど、もうピアノの道に進むことはないだろうと、そこを中一の秋に辞めました。

水泳に、勉強に、部活にと、毎日何時間もピアノの前に座ってそこに縛られない生活を
1か月謳歌しました。自由で、のびやかで、義務や責任に縛られない毎日。

でも、何となく、これは違う、物足りない、と感じ始めた頃に
やはりご近所に芸大のピアノ科に通う先生がいるから、学生さんだし、きっと楽しくレッスン
して下さるんじゃない?辞めるのはもったいないから行ってみれば?と母が薦めてくれました。

そこで、その先生のお宅に伺いピアノを聴いて頂いたところ
「貴女、もったいない。私の先生は本当に素晴らしい方なので是非行ってごらんなさい。」
みたいなノリになり、あれよあれよで何の覚悟もないまま連れていってもらったのが、
村上明美先生との出会いです。

それは、身も凍る程の厳しいレッスンで、辛辣で容赦ない言葉の数々に
傷つき、涙し、何度もあきらめ、それでも先生の音楽、先生の音の素晴らしさは
本物だと感じることで、這うようにして先生についていきました。

音楽の道に進むかどうかは、まだ決めて兼ねていました。
ピアノを弾くことは好きだけれど、先生の「貴女には才能がないんだから
人の4倍は練習しないとだめなのよ。」という言葉に、自分にはピアノをプロとして
弾いて行かれるだけの何かが足りないのではないか、と自信を持てませんでした。

若い、というのは限りない未来はあるかもしれないけれど、実質的な実力は、まだ無い
と言う、頼りなく自信など持てるべくもない状態です。
努力はしていても、100点満点の様な目に見える評価基準があるわけではない、漠然とした
音楽の道に絶対に進んでいくんだ、と決意できるほど、自分を信じることはできませんでした。

ところが二年生の終わりに「貴女、芸大の付属音楽高校=いわゆる芸高=を受けてみない?」
と先生がおっしゃるではないですか。え???私が?…だって先生、
才能なんて全然ないって言ってらしたじゃないですかっ!!!

呆然とする私に先生は「芸高を受けてもあそこは天才の集まりだから
安心なさい、合格は無理よ(orz""")
でもね,貴女なら芸大には間に合うかもしれない、と思っているの。
芸高を受けるっていうのは、ただ受けようとするだけでも課題曲も膨大だし、
精神的にも技術的にも本当に大変よ。
そのハードルを経験することが、芸大受験の時に確実に役に立ってくるのよ。
1次試験くらいは通ると思うから、頑張ってみない?」とおっしゃいました。

まだ覚悟は出来ていませんでしたけれど、そんな先生の言葉に、受験してみようと決めました。

絶対に受からないから安心しなさい、と言われて受験した芸高でしたが
ふたを開けてみると、演奏、音楽教科、学科の総合で1位合格。
(え?ワタシってもしかして天才???=笑)
自分の努力が報われたことは嬉しかったし、天下の芸高に合格したことは誇らしかったの
ですが、正直、芸高に通いたいと思っていたわけではなかったのと
これで自分の道が、否応なく決まってしまう、という恐れから
周りは狂喜していましたが、私自身は混迷の中にいました。

それでも、どう考えても今の私の本当の出発点は、その時でした。
芸高に合格したことで、ピアニストとして生きる出発点が与えられたし
それは村上先生との出会いなしには、あり得なかったことです。

村上先生が芸大の先生ではなかったので、そこから中々スリリングな日々が
始まるのですが、それでも私の先生への信頼や絆が揺らぐことはなく
プライベートでレッスンを受け続けました。
先生から「叩き込まれた」基礎、音への敏感さ、耳、音楽の本質といったものが
それからの私、今からの私を支えていくことは間違いありません。
そしてこの出会いに、先生の教えに、心から感謝!です。

77歳になられても、本当にきびきびとお若く、精力的でエナジーに満ちている先生。
もう一人の恩師、クラウス・シルデ先生も90歳を超えて尚エナジーに溢れていますが
自分の前を確かに歩いて下さっている存在があるというのは、心強く勇気が持てます。

先生、どうか、本当にいつまでもいつまでもお元気で!







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2012年06月17日

小学1年生

この春から小学校に入学しました!というピカピカの1年生の生徒さんが
4月、5月、6月と1人ずつ増えて、その前から教えていたゆう君と
合わせて4人!になりました。

こんな風に小さい子供をたくさん教えるのは、結構久しぶりです。
1人くらいなら、いつもいるけれど。
それで、4人を教えていると、まぁなんとそれぞれに個性的で、
それぞれの可能性を秘めていることでしょう!
大人より無防備なぶん、幼いからこそ、存分に自分を主張し行動し、
1人1人が、同じ曲同じ練習をさせても、まるで違う反応と感性を発揮します。

幼稚園生や小学1年生をたくさん抱えて教えていたころは、自分の子供も
まだ小さくて、子育てに必死、教えることにも生活することにも必死でした。
情熱はありましたが、必死な分「こうでなければ!」という思いが
強かったのかなと、今振り返って感じます。

あれから10年が過ぎて、たくさんの子供たちに接し、子育てを経験して
あらためてこうやって1年生たちに接してみると、みんな違ってみんな良い
という詩の意味が、ようやく分かってきたような気がします。

一人ひとりのぺース、一人ひとりの感じ方、一人ひとりの私との関係。
ルールはあるけれど、なるべくそれぞれの個性を豊かに育てていきたいと
楽しくレッスンに励むヤマガミです。

posted by yukiko at 17:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2012年06月08日

鶏の唐揚げ・塩麹編

1年くらい前から話題の塩麹。
調味料として、今やお醤油&味噌に並ぶ勢いです。

私も半年前から自家製の塩麹を作り、様々なメニューにトライして
来たのですが、やっと塩麹の特性や風味などが掴めてきました。

最初は塩を入れすぎて(と言ってもインターネットで調べた量で仕込んだのですが)
とてもしょっぱいので少量しか入れられず、そうすると塩麹が思ったように
生かせないので、本当のところ何が良くてどう使えば生きるのか等々が掴めず
苦労しました。

2回目に塩麹を作った時は、色々本屋さんなどで調べ、塩の量を半分くらいに減らし
麹の甘味が生きるようにしたので、そこから、あぁ本当に美味しい!というレシピが
出来始めました。

いつも暮れに酒粕をペースト状にして使いやすくなったものを頂きます。
それで、お肉やお魚などを漬けたり、粕汁やお鍋にして使ってとても重宝していますが
塩麹も言ってみれば、同じ使い方でOKのようです。

酒粕より今や一般に手に入りやすく、状態もどろっとしていて使い易いかも、です。
同じ麹族の調味料の代表はお味噌、ですが、味噌より麹が若く成長過程にあるので
タンパク質を分解して肉や魚を柔らかくする力があり、酒粕より甘味が強く
醤油、味噌、酒粕にあるような個性的な風味はほとんどないので、くせが感じられない分、
オールマイティです。

私の使っている感じでは、塩麹は魚よりお肉系に合う気がします。
酒粕は、やはりお肉より魚系に合う気がするのですが。

とりあえず、鶏のから揚げ塩麹じこみのレシピ!

鶏のから揚げを作る際、1日前から腿肉を一口大に切ったものを

塩麹大匙1、醤油大匙1、味醂大匙1、ヨーグルト大匙2

の割合のたれを作って、ジップロックに入れ揉み込んで寝かせておきます。
生姜とにんにくののすりおろしを小さじ2ほど入れるとベター。

翌日、寝かせたジップロックのジッパーをあけて、少しお肉から出た水を
こぼします。まだ中にたれが残っている中に、米粉と片栗粉を半々にして
放りこみ鶏肉に揉み込みます。いわば、天麩羅みたいな泥状になった鶏肉を
油で揚げていきましょう。

私は低温で揚げて、高温で二度揚げしますけれど、まぁ1度でもOKです。

柔らかくて、ジューシー。まるで専門店の味に仕上がります。

美味しいですよっっっ!



posted by yukiko at 18:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記